行き交う人が不思議そうな顔で通り過ぎていく。
それを見て、啓太は、ふっを顔を顰めた。

……それはそうだ。こんな土砂降りの雨の中、傘もささずに歩いてるのは俺くらいなもの。
……何でこんなことになったんだろう・・・。
……ほんとなら、あの人と仲良く夕食を食べていたはずなのに。

今日は、土曜日。
二人とも午前中はそれぞれの仕事を片付けていた。
そして、ことの発端は、夕方の啓太の想い人の一言だった。

「今日の夕食はどうします?」

用事は全て片付き、午後になっていた。
こういう日は、二人で顔なじみのところへ食事に行くことが多い。
でも、啓太は知ってた。七条に、行きたいところがあるということを。
それは偶然、前日、鈴菱本社に来ていた西園寺から、聞かされたことだった。






『啓太!久しぶりだな』
『あっ!西園寺さん』

柔らかい色素の薄い髪、同じく見様によっては淡く緑に見える瞳。
類まれなる美貌の人は、啓太を見つけると日頃、他の人間に見せる厳しい表情とは
一転した鮮やかな笑顔で歩み寄ってきた。

恋人の一番近いところにいる人。

この美しい人のことで、学園時代、色々と悩んだこともあったがそれは今となってはいい思い出だ。
七条と暮らすようになった今では、二人の一番のよき理解者でもある。
久しぶりに見るその美貌に見とれていると、美しい人はクスリと笑った。

『啓太!どうした?私の顔に何かついてるか』
『あっ!いえ、こんなところで逢うなんて・・・って、驚いちゃって』
確かに普段は研究所から出ることがない西園寺にここで逢うのは珍しい。
来客で賑わう鈴菱本社ロビーは、いつも人通りが絶えない。
行きかう人で混雑するはずのその場所だが、二人が話し込んでいると
周りからぽっかりとそこだけ開けたように空間が出来、ギャラリーが遠巻きに見ていた。
その周囲の様子に、啓太は思わず苦笑を洩らした。
(西園寺さん、綺麗だもんなぁ・・・)
そう思うと、改めて、その秀麗な人を見遣った。

『いや、遠藤が用事が在るというからな』
『そうなんですか!和希が』
あっ、社長が・・・と慌てて言い直した啓太に、西園寺はまたクスリと笑う。
それを見て、啓太も気をつけてるんですけど、つい・・と舌を出した。

『それよりも啓太、あれ、楽しかったか?』
『あれ???ですか??』
『ああ、臣と行ったのだろう?あれは存外楽しみにしていたからな。喜んだだろう』
そう言われても全然思いつかない・・・。何だろう。
『あの、すみません。俺』
『なんだ行ってないのか?そうか。いや、先々週、臣からチケットを頼まれてな』

話を聞けば、七条は、観に行きたい展覧会があるらしい。
日本初というその鳴り物入りの美術展は、大層な人気で
手に入り難いそのチケットを西園寺に頼んだというのだ。

『そうなんですか?俺全然知らなくて』
『いや、まだ期間はあったはずだから、そのうち言うつもりにでもしているのだろう』




その西園寺の行っていた美術展の最終日が今日だった。

「夕食ですか?臣さん、どこか行きたいところでもあるんじゃ?」
「いえ、それより、今日は家で夕食取りましょう。僕が作ってあげますよ」
にこりと微笑むその人を啓太は少し驚き顔で見上げた。
確かに今日が最終日だったはずだ。

「えっと、でも、やっぱり、行きたいとことか」
「ないですよ」
あっさりと返した七条の顔をもう一度まじまじと見る。
それは普段どおりの愛しい人の顔。


「それより、伊藤くん」
すっと立ち上がるとその腕を啓太の額に伸ばした。
「具合はいかがですか?少し顔が赤い」
触れられた指先のひんやりした感覚が心地よくて、啓太は目を瞑った。

夕べ、ただ優しく抱き合うだけで休んだ臥所の中。
その啓太の思わぬ体の温もりに七条は眉を顰めた。
普段から、幼い様子で体温も同年代のものよりも幾分高い。
でも、抱きしめたそれは温かいを通り越して熱いと感じるもので。
そう言えば、瞳も熱で潤んで、軽く開かれた唇から漏れる吐息もどことなく苦しげに見える。

「えっ。そうですか?」
啓太は触れられた額を自分で押えて首を捻る。確かに少し寒気がする気がしないでもないが
そんなに気にも留めるほどでもない。怪訝そうな顔で七条を見つめると小首を傾げた。
「はい。あまり無理はしないように、今日は家でゆっくりした方が」
「でも、臣さん、行きたいとこあるんでしょ。俺、あの・・・西園寺さんに聴きました」
その言葉に、七条は少し目を見開いて、そして、軽くため息を吐いた。
「郁…ですか。困りましたね。君の耳に入ってるとは飛んだ誤算でした」
「ものすごく楽しみにしていた展覧会だって」
「そうですね。日本で開催されるのは始めてのヨーロッパの古代美術の美術展だったので
行きたいと思ったのは事実です」
「それなら、行きましょうよ」
「でも、君は体調が悪そうだ。あまり人ごみに出ない方が」
「俺がジャマなら留守番しています」
「いえ、僕には君の方が大事ですから、それに美術展はいつでも行けますよ」

少し、諦め顔で七条が答えるものだから、啓太の感情がちりっと逆立つ。
何事も、啓太を優先してくれる優しい人。
守られているのは、確かに心地よい。でも、それだけじゃ、嫌だと心が叫ぶ。

「でも今日が最終日なんでしょ!今度、そんな貴重なものなら今度いつ見れるかわからないじゃないですか!」
「でも、僕は・・・」
「七条さんはいつでもそうだ!何でも俺に合わせてくれる!でも、俺、それは嫌なんです!」
「伊藤くん」

普段にないほど声を荒げる啓太の様子に、七条は驚いた。
いつも、笑顔で頷いてくれる啓太。今日も、ありがとうございますと含羞むように言う彼を思い描いていた。
それがどうだろう、目の前の啓太は、唇を噛みしめて激昂している。
何が彼を怒らせているのか、七条には見当も付かなかった。
自分のことよりも目の前の愛しい人の方が大切だというのは掛け値なしの事実だ。
それなのに、啓太は何故こんなにまで怒ってるのだろう。
啓太本人も、一瞬自分が口にした言葉に驚きを隠せないでいた。
何で、こんなこと言ってるんだろう・・・と、客観的に見ている自分が居る。
其の自分が早く謝れと囁く。
誰よりも優しい人。愛しき人を傷つける。わかってはいる。
でも、一度口にしてしまえば、それは本流となって流れ出して止められなかった。

「七条さんがやりたいことを俺のせいでやれないのは、ものすごく嫌だ。
俺、七条さんの枷になってますか?」
「そんなことないですよ。ただ僕は君が・・」
「俺のため!俺のため!!もうそればかり!!!そんな言葉、もう聞きたくない!!!」
「啓太!待ちなさい!!!啓太!」

そう大声で叫ぶと啓太は部屋を飛び出してしまった。





「はぁ・・・雨。止まないかな」
空を振り仰いでも、止む気配はない。
そんな寒い季節でもないが、夕暮れの街は雨に濡れながら歩くには相応しくないほど気温が低くなってきている。
まして、体調の悪い啓太は、体中から力が抜けたように、もう一歩も歩けないほどに体力を使い果たしていた。

理不尽なことで怒った自分が悪い。自分のことを大事にしてくれているのは痛いほどわかっているのに。
どうして、あんなことを言ってしまったのか、自分でもわからなかった。
ただ、好きな人に自分の犠牲になって欲しくない…その気持ちが強く出て、つい怒鳴ってしまった。
優しい人を困らせた・・・、傷つけた。考えれば考えるほど自己嫌悪に陥る。
謝って迎えに来て貰うにも、慌てて飛び出しで来た所為で、携帯も財布も持って出てはいない。

「はぁ・・・俺ってほんと馬鹿」
動けない体を道端の縁石に預けて啓太は座り込んでしまった。
夕べからの微熱は、雨に溶けてそのまま体を焼き尽くす灼熱の炎になってしまっている。
「もう・・動きたくないや・・・・。なんだか眠い・・・」
そう呟くとそのまま、傍らの電柱に体を靠れかかって瞼を閉じた。


「・・・け・・・い・・た・・?」
「けい・・た?」
どれぐらいの時間、目を閉じていたのだろう。
遠くどこかで微かに名を呼ばれたような気がした。

聴き覚えのある懐かしい声。
耳にすると安心できるそんな声音。

「啓太?」

ふと気がついて、瞳を開くと、そこには見慣れた紺碧の瞳が見えた。
少し口角を上げて何かを揶揄するようにその人が立っていた。

「お前、こんなところで何をしている」
「な・・なか・・じまさん?」
半ば薄れている意識の下では、上手く言葉が紡げない。
切れ切れに中嶋の名を呼ぶと啓太は縋りつくようにそのまま意識を手放してしまった。

「啓太!!おい!啓太」
驚いたのは中嶋の方だ。こんな繁華街のど真ん中で、雨に濡れて座り込んでる馬鹿なやつがいると思えば
それが自分の知り合いで、声をかけた途端に気を失ったのだから。
しな垂れるかかるように倒れこんできた啓太を抱き寄せると中嶋はその体の熱に顔を歪めた。
そっと額に手を当てると燃えるように熱い。
一体こんな体で、この雨の中どうしたのか。
こいつがここにいることをあの男は知ってるのだろうか。もし知っているのならこんなになるまで放っておく七条に怒りが隠せない。
兎に角こんなところへ置いてはいけないと、そっと抱きあげる。
思いのほか軽いその華奢な体に、中嶋は眉を顰めた。まだ、幼く見えるその顔は学園時代と全く変わりがない。
そんな啓太を壊れものを扱うように優しく抱きしめると自分の車の方に歩いていった。
腕の中の愛し子は、気が付かなかったけれどそっと優しくその頬に唇を寄せて。


***


「お前も年貢の納め時か?」
「なんだそれは」

高熱を出していた啓太を診察してもらう為に、中嶋が電話で呼び出した医者は、意味ありげな顔でベッドの上を指差した。
其の先には、赤い柔らかそうな髪の少年が一人。
苦しげに胸を上下させながら、少し眉を顰めて横になっている。

中嶋とは大学時代からの腐れ縁だ。ある意味、悪友と呼んでも過言ではない。
中嶋のクライアントでもあるその医師は、公でも私でも中島のその人となりを良く把握していた。

仕事は優秀。人当たりもそう悪くはない。しかし、ある意味非情で冷酷な面も併せ持つ。
決して実生活では、優しいなどという言葉から無縁だろう。
同じく共通の知人でもある丹羽辺りは「陰険眼鏡」などとよく言っていたものだ。
そんな彼が、街で行き倒れを拾ったから診に来いと言う。ある意味興味本位でやってきたら、
件の少年の濡れた服を脱がして、その体を綺麗に拭いてやってるところだった。
其の様子に、少なからず驚いた。そんな事をする人間ではないと思っていたから。
それに、その扱いのなんと優しいことか。

まるで貴人を扱うがごとく恭しく丁寧に。
恋人を見るような優しい眼差しで。
自分が見ていないとその頬に唇に、そしてつま先までも、くちづけを落としていたかも知れないなと思うと
自ずから苦笑が漏れる。


「その子、お前の特別なんだな」
そう言って、揶揄うように笑う知人に、中嶋はちっと舌打ちをした。
「そんなんじゃない。ただの高校の後輩だ。それに、こいつは男だ。」
しかし、その手は優しく髪を梳き頬を何度も撫でる。

「そんなことにこだわるお前でもないだろうに」
中嶋の性癖は知ってる。大学時代から、女でも男でも気になれば「食っていた」そんなやつだ。
そう言われて中島は、可笑しげに眺める友人をキッと睨むと苦々しげな顔になった。

「とやかく言わずにさっさと診ろ」
「ああ、わかった」




注射が効いてきたのか、苦しげだった息が幾分穏やかになったのは、それから30分ほどしてからだった。

『疲れからかもしれないな。この子、ここ最近あまり寝ていないんじゃないか?
熱さえ下がれば大丈夫だとは思うが、念のため病院に行った方がいい』
そう言って知人は帰っていった。

『何かあったら、いつでも電話してくれていい』
『ああ、頼む』
『あっ、それから』
一端、ドアノブに手をかけて思い直したように振り向くと
『結婚式するんだったら、呼んでくれ』
そういうとニヤリと笑って出て行った。

「あいつの顧問料、3倍ぐらいにしてやらないといけないな」
思い出して、苦虫を噛み潰したようにそう呟くとソファに座って上着のポケットを探る。
そして、煙草の箱を見つけると、少し考えてそれをまた元に戻した。

月明かりに照らされて、穏やかに眠りにつくその愛しい人。
そっとベッドサイドに近づくと指先でその柔らかな頬を確かめる。

欲しいと願ってやまないものがここに居る。

好きだ・・・。小さくその口から漏れる。
学園時代から、そう今に至るまで、片時も忘れたことがないもの。

伊藤啓太
願っても手に入れることが出来なかったたった一人の愛しきもの。

その啓太がここに居ることは誰も知らない。
もし、閉じ込めてこの腕の中に抱きとめて、自分ひとりのものにすれば、啓太はどんな顔をするのだろう。
自分だけを見て自分だけを感じて。
他の誰のも渡さない。あの男の目の届かない場所に隠してしまえば。
啓太の寝顔を見ながら、中嶋はそんな事をふと思った。


しかし、自分の欲しいものはそんなものじゃない。
一瞬でも頭を過ぎった愚かな考えに自嘲の笑みが浮かぶ。
そうすれば、啓太は自分に従うだろうか。
答えは否だ。
力で抑えこんでしまえば、体だけは奪えるかも知れない。
快楽で絡め取って自分のものとすることは出来るかもしれない。

しかし、欲しいものは、そんな啓太じゃない。
欲するものは。
真実、欲しいものは唯一つ。

今はただ、一人の人間にだけ向けられているもの。
あの銀の髪の男だけが見ることが許されるもの。

太陽のような笑顔だ。
自分の横で眩しいばかりに笑う啓太。自分を愛しいと思ってくれる笑顔だ。
それこそが唯一欲しいもの。
抜け殻の啓太ではなく、啓太の心こそが願う唯一のもの。

それを思うと、小さくため息を吐いた。


そして、穏やかな寝息を立てて眠る愛し子の額に掛かる髪をそっと指先で整えた。
まだ幾分か熱い。しかし、さっきよりも数段顔色も良くなってきている。

薄らと開かれた唇、微かに覗く舌先が妙に扇情的で中嶋は眼を離せない。
熱の所為か頬や胸元は桜色に上気して、艶やかな色をこぼす。
其の柔らかな唇をそっと指先でなぞる。

『苦いキスは嫌いです』

昔、不意に奪った温もりに、そう呟いて涙を溜めた蒼い瞳を想い出した。
そして、そっと優しく頬に触れると、その柔らかな桜色の唇に、慈しむような宥めるような優しいキスをした。

其の時、啓太の口が微かに開いた。

「お・・おみ・・さん」

愛し子の口から紡がれた其の言葉。
それが現実に引き戻す。

そして、中嶋は目を瞑った。
この愛しきものの心を占めるあの男を思い出して、ギリッと唇を噛んだ。
希っても、得られないもの。それが真に欲しいもの。

啓太の髪を優しく撫でると、そっと温もりを落とした。


***


(ん・・・眩しい??!)

そっと眼を開くと、そこは見慣れたベッドの上だった。

(あれ??何で?俺、確か。外に飛び出して・・・)

ベッドの上に、ちょこんと正座すると啓太は、頭を捻った。
確か、ケンカして外に飛び出して、雨に降られて、動けなくなって・・・、
そこまでは確かに記憶がある。

(其の後、誰かに声を掛けられたような気がするんだけど…)
いくら、思い出そうとしてもそこから先の記憶がプツリと途切れていた。
うーんと唸って考えていると、寝室のドアが開いた。

「お目覚めですか?啓太くん」
にこやかに笑うその人は、紛う方無き大事な恋人だ。
「七条さん。俺、何でここに?」
「おや、覚えてないんですか?」
不思議そうな笑みを浮かべた恋人は、そばにあったカーディガンを啓太に羽織らせながらそっとベッドに腰掛けた。

「はい。道端で動けなくなったことは覚えてるんですけど、その先が」
啓太の不安そうな顔をじっと見つめると七条がニッコリと笑った。
「親切な方が、倒れている君を見つけて連絡をくださったんですよ」
「そうなんですか!?」
「はい。君は熱が酷くて」
「ああ・・・」
七条は、そっとその大きな掌を啓太の額に当てると、もう大丈夫みたいですねと呟いた。

「疲れが貯まってるようです。少し休養が必要だそうですよ」
お腹空いてませんか?と尋ねた七条の袖口をギュッと握って啓太は俯いてしまう。
「どうしましたか?伊藤くん?」
「あの、・・おれ・・・」
言葉が口の中で踊って上手く吐けない。
「啓太?」


「・・・・・・・・・ごめんなさい」
やがて、小さな声でそういうと七条の肩口に顔を押し当ててそっとため息を吐いた。
「あんなことで怒って・・・。ごめんなさい。皆に迷惑掛けちゃって」

きゅっと下唇を強く噛む。
俯いてしまった啓太のその唇を七条は指先でそろりと撫でた。
「傷ついてしまいますよ。例え、君自身でも僕の大事な君に傷をつけることは僕が赦しません」
そう言って、ふふと笑う。

「僕の方こそ、君に謝らなければいけません」
「七条さん・・・」
その紫の瞳は、いつに無く真剣に啓太のことを見つめていた。
そっと啓太の手を取るとその指先に優しく口付ける。
「君を愛しいと思うあまりに君を傷つけてしまいました。君が一人の人間だということを認識せずに
ただ僕の感情を押し付けてしまって。昨日のことは、君は君だからこそ愛しいということを思い出させてくれました。
僕の愛しい人は、ただの人形じゃなくて、生きて僕とともに歩いてくれる人なんだってことを」
「臣・・さん」
「僕たちは完璧じゃない。だから、こうして衝突することもあると思います。
でも、それだからこそ愛しい。不完全な二人だからこそ、互いに補って歩んでいける。
もしかしたら、僕は、これから先も君に嫌われてしまうようなことをするかも知れない。
そういうときは昨日みたいに叱ってください。二人だから、一緒に歩けるんです。
僕は、君とどこまでも共に歩んでいきたい」
「あの・・・おれ・・・」
「啓太くん、僕のこと嫌いになってしまいましたか?」
いつも完璧なのに、こうして時折見せる不安そうな表情。
自分が思っていた不安と同じことを七条も抱いていたということに啓太は気がついた。
別々に生れて違う時を過ごしてきた二人。互いに相手のことを思うと不安を感じていたんだ。
自分はどう思われているのかと。嫌われたくないんだと。

「そんなことあるわけないじゃないですか!
どんな七条さんでも嫌いになれるわけないです。だって・・・」
「だって?」
「七条さんが七条さんだから大好きなんですから」

ふっとその紫の瞳が柔らかな色になったような気がした。

「君って人は、どこまで僕を付け上がらせる気ですか?
こんなに君のことが好きななのに、また好きになってしまいます」
そう囁くとその長い腕の中に啓太を抱き寄せた。






『啓太を預かっている。迎えに来い』
深夜、思わぬ人からの電話で迎えに行った。
ベッドに寝かされた愛しい人は、一糸纏わぬ姿でシーツに包まって・・・いて。
何をしたんですか!!と、七条はギリッと中嶋を睨み付けた。
そんな七条の様子に、くっくっを冷たく笑うとその人は、恋は盲目というが本当だなと言い捨てる。
確かに、よくよく見れば、情事の名残などはない。そっと額に手を当てれば、濡れた髪が温かく湿っている。
朝からの微熱が、雨に濡れて高熱になったなったのだろう。
ベッドに横たわるその愛し子は、無意識に苦しげな声で自分の名を呼んでいた。

『お前は本当に啓太に相応しいのか?』
忌々しいその人は、笑わぬ目でそう尋ねた。
『こんなになるまで放っておかれて、それでもお前を求めるとは、啓太も馬鹿だな』
口でそう貶める言葉を吐いていても、中嶋が啓太を見つめる視線は甘やかで、愛しさに満ちている。
それに気がつかない七条ではない。
『それは、負け惜しみですか?伊藤くんは僕を選んでくれました。あなたじゃない』
『確かに、今はな。せいぜい嫌われないように努力するんだな』
『あなたに言われなくてもわかっています』






そっとその耳元に口を寄せて囁く。

「あらためて、君を好きって言うことに際限がないことを、思い知らされました。
本当に、本当に僕は君が好きです。愛していますよ。啓太」

そう、もう放してやれない。
あの人にも渡さない。

「俺も、大好きです。臣さん」
腕の中でもぞもぞと動く恋人は、見上げるとニッコリと太陽のような眩しい笑顔をくれた。




next

検索ページから来た方は、サイトTOPへ