Who ever loved that loved not at first sight?
〜まことの恋をするものはみな一目で恋をする〜

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携帯の着信音が鳴った

「はい、郁?」
僕は、隣で夢の住人になっている愛しい人を起さないように、そっとベッドを抜けだした。


「わかりました。では……」
リビングの壁にかけられてる時計をちらりと見ると、丁度5時を指している。
「7時にはそちらにつけると思います」
もう少し早く来いという郁の言葉を聴こえないふりをして電話を切った。

リビングから続くテラスのカーテンをさっと開けると、眼下に、早朝の街が一望できる。
まだ街は動き出してないようで人影もまばらだ。

「郁は、思い立つと時間の感覚がなくなるようですね」
そう呟きながら、僕は寝室のドアをそっと開けて、まだすやすやと眠る恋人の頬にそっと触れるだけのキスをした。

「伊藤くん、少し早いですが、仕事に言ってきますね」
そう囁いた僕の声に反応したのか恋人の瞼が微かに震えた。
それは、緩やかな覚醒に向かい、やがて、その僕を魅了して止まない蒼の瞳が薄らと開いた。


「お・・臣さん・・・??」
「起してしまいましたか?」
「うーーん・・・・もう朝です・・か?」
「まだ早いですよ、もう少し休んでおいてくださいね。夕べは疲れたでしょうし」

さっきよりは、大きく開いた瞼をパチリと開けると、僕の顔を見上げて、何かを思い出したのか薄らとその頬が赤く染める。
BL学園で初めて逢ってから、もう幾年の月日が流れただろう。こうして、共に暮らし始めてからも随分な月日が過ぎたはずなのに
僕の愛しい人は今だ何もかもが初めてのような顔をする。それが僕の嗜虐心や征服欲を刺激してるなんてことは露も気がつかない。

ほんとに可愛い人。

I've been always thinking of you.
(僕はいつも君のことばかり考えていますよ)
If it weren't for you, I wouldn't be like I am now.
(もし、君と出会わなければ、今の僕はいなかったでしょう)

I love you,keita 
(愛してる。啓太)


「なんですか?」
きょとんとした顔で僕を見つめた君の頬におはようのキス。

「うふふ、僕のせいですから」
僕の言葉の意味がわかったのか君は耳まで真っ赤になった。
「うっ・・・、恥ずかしいです」
そう言って、僕の愛しい人は枕に顔を埋める。
柔らかなその明るい色の髪が枕に散ってサラサラと流れた。
ぴょんぴょんと跳ねるその栗色の髪は元気で明るい君そのもので、その髪を優しく梳きながら、僕は言葉を続けた。


「郁から、呼び出しがあったので、研究所へ行って来ます。
君はもう少し寝てるといいですよ。確か今日はお休みでしたよね」

「七条さんも今日はお休みだったんじゃ」
顔を上げて僕を見つめる君の瞳がさっと曇った。

ああ、君にこんな顔をさせるとは、郁、恨みますよ。
そんなことを心の中で呟きながら、
「すみません。すぐ片付けて戻りますから、お昼は家で一緒に食べましょう」

それを聞くとさっと君の顔が明るく輝いて声を上げた。
「じゃ、俺何か作っておきます!!」
「それは、楽しみですね」
「はい!期待しておいてください!!!」






***
時報が7時を告げると同時に僕は研究室のドアを開けた。

「おはようございます。郁」
「おはよう。臣」

そこにいるのは、僕の幼馴染で、今はこの研究室の主。
色素の薄い見方によっては桃色にも見える栗色の髪を肩まで伸ばした麗々しい美貌の持ち主。
本来の仕事は、幾つも経営してる事業のはずなのに、何の酔狂かこの研究所で、あの気に入らない人の研究に手を貸している。
おかげで、僕もこうしてとばっちりを受けて、大事な休日を無駄にするようなことになっている。

そんな剣呑な僕の思考を読んだのか、郁は僕の顔を見るとにやっと白い歯を覗かせた。

「悪いな、折角の休みを」
「そう思うのなら、電話などしてこないで下さい」
そういった僕を、おやっ?という表情で見返すと、ははぁ・・んと呟いて、またにやりと意地悪そうな笑みを浮かべた。


「今日は啓太も休みか?」
「休みが同じになるのは一月ぶりなんですよ」
恨みがましい目で睨む僕に、郁はくすりとまた笑った。


「仕方ないじゃないか。データの管理はお前しかわからないんだから」
「それはそうですが、何も今日じゃなくても良かったんではないですか」
郁から、手渡された資料に目を通しながら僕が言葉を吐くと、確かにそうなんだがな…と呟きながら、
僕の顔をちらりと見てまた郁はクスッと笑った。

「鈴菱の指示だ」
「所長のですか?」
「そうだ、直々に夕べ電話が掛かってきた。月曜の朝一番に資料を提出して欲しいとな」


嫌な予感がした。


……あの人はほんとに諦めが悪いというか、まだ啓太を諦めていませんからね。



鈴菱和希

世界有数の大企業、鈴菱グループの次期総帥
今はその中核企業の鈴菱商事の代表取締役で、この鈴菱製薬研究所の所長だ。
僕たちの母校ベルリバティ学園の理事長で、そして、僕の愛しい人の幼馴染で、本来ならばあり得ないことであるけれど、同級生。

僕の恋人を学園に呼んだ張本人。
それを思えば、出会えた恩を感じないでもないがそれ以上に厄介なのが、僕の恋人に恋心を抱いているということ。

今でも啓太を好きでいることは、隠しようのない事実で、気がついていないのは啓太本人だけだ。


「厄介ですね。何か企んでいそうです」
「ふふ、お前もそう思うか?」
「わかっているのなら、断ってくださればよかったのに」
「波風が立たないと幸せを実感できないだろ?」
そんなことを口にするものだから、意地悪ですねと返すと
郁は、悪びれる様子もなく茶目っ気のある瞳で僕を見遣り、しれっと済まし顔でパソコンのディスプレイに目を移す。

改めて、この彼も密かにまだ僕の想い人に懸想をしていることを思い出した。

学園時代、彼を狙うライバルは山ほどいて、郁もその一人。
あの忌々しい鬼畜眼鏡さんとか、もちろん年齢詐称の同級生とか、派手なパフォーマンスのテニス部のキャプテンとか
彼の周りには、狼さんが沢山いましたからね…そんなことをふと思い出した。

彼が僕を選んでくれたのは、ほんとに千に一つの奇跡じゃないかと今でも思う。

ふふ・・と思わず思い出し笑いが洩れた。

「臣、思い出し嗤いするな。気持ち悪い」
「意地悪ですね。郁は」
「それよりはやく片付けてしまえ。啓太が待ってるんだろ」
「わかっていますよ」

その言葉通り、啓太との約束を果たす為に、粛々と仕事を片付けてようやく先が見えかけたのは、11時を少し回った頃。



「ところで、臣」
「だめです」
「なんだ。まだ何も言ってないぞ」
「お昼は僕と啓太二人、水入らずで食べたいんです。だたでさえ久しぶりの休みだというのに
水を差されて僕としては、かなり怒っていますから」
自分も誘えという意思が見え隠れする郁の言葉を遮って僕は言葉を繋げた。
そんな僕を呆れたような顔で見つめると郁は小さくため息を吐いた。

「お前、そんな狭量なことでは啓太に嫌われるぞ」
「郁みたいに意地悪なことは彼はいいませんから」
僕のそんな言葉に郁は面白そうな顔でふふと目を細めた。

「ふっ、お前もいうようになったな。もう良い、残りは私一人で大丈夫だ。あまり引きとめて啓太に嫌われるのは嫌だからな」
そう言って、掌をひらひらと振って、さっさと帰れと呟いた。

「ありがとうございます」
お言葉に甘えて…と僕はすかさず部屋を後にした。嫌な予感を振りほどく為に。





***
車を飛ばしてやっとマンションまで帰り着いた。
地下の駐車場に車を止めてエレベーターに乗ろうとすると、来客用の駐車スペースに見覚えのある車が停まっているのに気がついた。

「嫌な予感が的中といったところでしょうか」
僕は眉を顰めてその車を睨んだ。それは、真っ赤なドイツ製の高級車。自分が思い描いていた人物の愛車。

…日本の気候に合っていませんよ。オープンカーなんて。趣味が悪いですね。
持ち主が気に入らないと車まで気に入らない。そんなことを考えながら僕はエレベーターのボタンを押した。




辿りついたドアを開けるとにぎやかな笑い声が洩れてくる。
その中に、聞き覚えのある声が混じる。

…やっぱり・・・。
僕は少し目を細めて、玄関に揃えられている高価なブランドの革靴を見た。

…連れ出されていないだけ、まだましというものでしょうか…ね。


「あ、七条さんお帰りなさい!」
そこに、笑顔の啓太がひょっこっと顔を出した。僕は忌々しい人のことなど気付かないふりをして尋ねた。


「ただ今戻りました。どなたかいらしてるのですか?」
「はい和希が」

「遠藤君が?」
そう言ってから

「あっ、鈴菱社長でしたね」と言い直す。
これは、ささやかな僕の牽制。
でも、啓太にそれがわかるわけはなく。にこりと眩しいいつもの笑顔で「はい!」と返事をする。

「早くから来られてたんですか?」
「七条さんが言ってからしばらくして電話が掛かってきて」
「食事にでも誘われましたか?」
「何でわかるんですか!?」
(やっぱり、僕の感は当たっていたようですね。僕が居ない間に連れ出そうなどという姑息なことを考えるとは)
ちっと軽く舌うちをした僕を驚いた顔で見上げる彼の頬にそっと指を伸ばして触れると、いえ、偶然です。とニッコリ笑った。


上着を啓太に預けながら、リビングのドアを開けるとそこに居た笑顔の鈴菱和希が『おかえり』と声をかけてきた。
ったく、喰えない人ですね。そんなことを思いながら、ただいま・・・と、にこやかに挨拶をした。


「七条君、仕事思ったより早く片付いたんだね」
「はい、所長の指示通りにやっておきましたので、ご安心下さい」
「君といい西園寺君といい、優秀な頭脳が多くてうちの研究所も安泰だな」
そう言って、彼は、にやりと笑った。

その笑顔がなんだか癪に思えて僕はイライラする。

全くこの人は一体何歳になったんだろう…。
僕や啓太よりは、もっと年上のはずなのに、まだ20代前半といっても通じるかもしれない容貌で、
その笑顔は悔しいけれど爽やかで好感度は頗る高い。
これでは人の良い啓太が騙されるのも無理ではない話。
僕には太刀打ちできない時間という余裕を感じて余計に神経が苛立つ。

それでも、僕はそんな思いを億尾にも出さず、郁いわくの胡散臭い笑みを浮かべた。

「それより、所長、今日はこれからのご予定は?」
「いや、今日はオフだ」
そう返しながら、彼は、僕をあからさまに胡乱なやつという顔で見返した。

「そうですか、もうそろそろ秘書の方から連絡でもあるんじゃないかと思いまして」
その言葉が終わるや否や、彼の携帯が鳴った。
その着信音に、チッと舌打ちをして携帯の画面を眺めると
彼は、「やったな・・」という表情で僕を睨みつけた。

僕はふふっと口元に隠しきれない笑みを零す。
研究所を出る前に、仕掛けた贈り物がどうやら、彼の元に届いたことを確信してキッチンの伊藤くんに声をかけた。
「啓太くん、鈴菱所長はお戻りですよ」
「えっ!!!」
僕の声に、キッチンの方から啓太が顔を覗かせた。

「和希、お昼食べていかないのか??沢山作ったのに」
電話で一言二言、会話していた和希は啓太に片手を上げて合図をしてすまないと謝る。そして数分後、電話を切った。


「ごめん、啓太、急用が出来たんで帰るよ。お前の手料理はまた今度戴くから」
残念だな……と呟く啓太にごめんなと手を合わせると、僕の方をちらりと見て
「少しは手加減してくださいよ」と僕にだけ聴こえる声で眉を顰めた。
「うふふ。これでおあいこですから」と胡散臭い笑みを浮かべる僕。
そんな僕たちを啓太は不思議そうに見ながら、和希、また来いよ!と声をかけた。


「うん、ありがとう」
「じゃ、あっ、そうだ!ちょっと待って!」
何か思いついたのか急にそう叫ぶと啓太は、キッチンに入っていった。その後姿を眺めながら、彼は、僕を見るとため息を吐いた。
…啓太が可愛がられてるのはよくわかるんだけど、どこがいいんだよこいつの・・・。
そんなことを想っているのがありありとわかる表情で。

そうしているとうちに啓太が小さな包みを持ってキッチンから出てきた。

「これ、少しだけど車の中ででも食べて!」
「えっ、!」
「サンドイッチ!沢山作ったんだ。これなら運転しながらでも食べられるだろ」
和希の好物のハンバーグを挟んだんだ…そう良いながら、可愛いえくぼを作る。

「口に合うかどうかわかんないけど。食べて!」
「あ・・ありがとう」

「覚えていてくれたんだ……。俺の好きなもの」
「当たり前だろ!俺たち親友だし」
清清しく笑う啓太の笑顔は眩しいほどで、七条の心に暗い影を落とした。

……親友か……。それでもいいや、お前の心の中に少しでも俺の存在が刻まれてるのなら
おそらくこの後も続くサーバートラブルなど全然気にならないくらい温かいものが和希の心に溢れる。
じゃ、またと玄関の扉を閉めるまで、和希はうれしさで一杯だった。

彼が出て行ったのを確認して、僕は伊藤くんを抱き寄せる。
「啓太くん」
「七条さん?お腹空いたでしょ!。食べましょう」
いつもと違う僕の様子に彼は何かを感じ取ったようで、不思議そうな顔で僕を見上げた。

「どうしたんですか?」
「啓太君は優しいんですね」
「えっ?」
「そんなに遠藤君が気になりますか」
「なんですか!?それ」
「いえ、なんでもありません」

そうだ啓太はただいつものお人よしさを発揮しただけで、その他は何も考えていない。いわゆる天然だ・
それがわかっていても僕の心にちくりと棘を刺す。



ああ、今でも僕は君に恋している。初めての恋心を自覚したあの時と同じ気持ちで満たされる。

いつも、どんな時でも、それを思い知らされる。
こうして君の心に誰かが顔を覗かせただけで僕の心はちりじりになってしまいそうなほど痛む。
全く持って僕の心は余裕がない。


「七条さん?」
そんな僕の頬に優しい温もりが触れた。頬をその両の手で挟んで君はじっと僕を見つめていた。

「俺、臣さんだけが好きなんです。もし、臣さんを不安にさせたならごめんなさい。
でも、信じて。臣さんが好き。臣さんだけ」

そう言ってその柔らく芳しい唇で僕の口に温もりを落とした。
その刹那、心の中に光が射した。

ああ、君はこんなにも温かいです。
僕の心を溶かしてしまう。
いつも、僕が望んだ時に、僕が欲しい言葉をくれる。

初めて君をみたあの日から、僕は変らず君に恋をしている。多分、一生、君を放してあげることが出来ないほどに。






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